真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた理由、じつは『闇に葬られている案件』だってこと、ご存知でしょうか?
 
未だにナゾが残されている部分があるできごとなんですけど、教科書にはサラッと「電報が遅れた」くらいしか書かれてないんですよね。
 
気になる点が多いと感じたので、今回は

・真珠湾攻撃にいたるまでの出来事
・日本の「宣戦布告」が遅れた理由
・電報の”通達係”のその後

などについて、迫っていきました。

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真珠湾攻撃とは?

真珠湾攻撃とは、

アメリカの真珠湾に対し、日本が航空・船艇をつかって「宣戦布告なし」に奇襲した一連のできごと

を指します。
 
そのままの意味ですね(´・ω・`)
 
どうして”奇襲”となったのか、経緯を見ていきましょう。

真珠湾攻撃の経緯

1937年7月7日、日本軍は日中戦争に突入。
 
翌年には国家総動員法を交付し、戦争の火種を拡大させました。
 
これを侵略行為とみたアメリカは、1939年に日米通商航海条約の破棄を通告。
 
戦争回避を目的とする日米交渉を行いましたが、それでも南方進駐をやめない日本に対して

・1941年7月に在米日本資産を凍結
・8月には対日石油輸出の全面禁止

の制裁を行い、経済的に追い詰めていきました。
 
日本はこれを受けて、1941年9月6日に日米交渉の期限を11月末までとし、対米開戦の準備を始めることになります。
 
そして11月26日、交渉を打ち切る”最後通牒”としても有名な「ハルノート」を日本に提示。

様々書かれている内容ですが、一言でまとめると

日清・日露戦争で築き上げてきた、大陸における権利・利益をすべて放棄せよ

という屈辱的な内容。
 
せっかく今まで侵略してため込んできたのに、とても飲み込める条件ではありません。
 
12月8日、ついに軍事行動に出ることを決め、連合艦隊司令長・山本五十六(やまもと いそろく)の指揮のもとでハワイの真珠湾を空襲しました。
 
その中で、本来なら

・30分前に宣戦布告の通達がアメリカに届く
・その後、ハワイの真珠湾攻撃

となる予定を組んでいたのですが、日本の不手際によって順番が逆転。
 
宣戦が攻撃した後の「事後通告」となり、完全に不意を突かれたアメリカは軍艦4隻・死傷者4000人という大打撃を受けました。
 
このような経緯によって、アメリカは「リメンバー・パール・ハーバー」の合言葉のもと、一丸となって戦争に突入したのです。

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なぜ、宣戦布告は遅れた?

対米開戦を決めた日本は、真珠湾攻撃を行う30分前に宣戦布告を予定していました。
 
12月7日の攻撃は

ハワイ時間で午前7時50分
ワシントン時間で午後1時25分

だったので、30分前ということは午後12時55分となりますね。
 
当時の外務省は、宣戦布告の文書である「対米覚書」を、

・長文となるため、順次送ることとする

・極秘扱いなのでタイピストではなく、書記官が”直接”打ち込むこと

・手渡す時間は最後に伝えるので、万端の手配をしておくこと

というメッセージを添えた上で、12月6日午前6時30分から14部に分けて、日本大使館へ文書を発信。
 
最終の14部を14時間後の12月7日午前2時30分に発信すると、「7日午後1時に、アメリカ国務長官に直接渡すこと」と指示を伝えました。
 
一方、これを受けた日本大使館の6人の電信課員は、渡された文書の暗号解読を開始します。
 
13部までの解読は6日の午後8時ごろに終了しましたが、書記官が送別会に出席するために大使館から離れていたため、その13部はタイピングされることなく、7日午前9時ごろまで放置
 
7日午前10時ごろに出勤した書記官は、「対米覚書」14部の最後に書かれていた【午後1時に直接渡すこと】という内容に、ただ慌てるしかありませんでした。
 
こうした不手際によって、ハル国務長官に宣戦布告文書を手渡したのは、真珠湾攻撃開始から約1時間後の午後2時20分になったのです。
 
ちなみに、この遅れの原因を作った人物・奥村一等書記官と、直属の上司であった井上参事官は、外務省から不問とされるどころか「外務次官に昇進」させていたことが発覚。
 
2人に対する責任がまったく無かったことで、外国から「日本は卑劣な国である」と痛烈な批判が飛び交いました。
 
あたりまえですね。

2人が罪に問われなかった理由は、不明

なんでこの2人に責任が問われなかったのかという理由については、今でも明かされていません  

戦時のゴタゴタによって証拠がもみ消され、立証が難しくなってしまったためです。
 
一応、以下のような考察もあるので紹介しておきます。

アメリカ人牧師=工作員とする「陰謀論」

書記官が出席していた「送別会」の内容は、大佐の葬式。
 
彼はクリスチャンであったため、葬儀はアメリカ人関係者の手配によって、ワシントンD.C.のバプティスト教会で行われることとなった。
 
影響力のある人物だったので、大使や特派されていた人も続々と参列。
 
短時間で葬儀が終わる予定であったが、アメリカ人牧師が長々と告別の辞を述べたことで、遅れてしまった。

・両大使が日本政府の開戦通告直前に葬儀へ出席したということ
・葬儀を司会したアメリカ人牧師は議事を必要以上に伸ばしていたこと

の2点は、ほぼ間違いのない事実であることから、なにか工作員が関与していたのではないか?

結局のところ、外務省の「怠慢」が理由だった

真珠湾攻撃の宣戦布告が遅れた理由について、迫っていきました。
 
真相は闇の中……と終わっているところも多く見受けられますが、

外務省の“怠慢”がキッカケで遅れてしまった

ことは確実なんですよね。
 
1937年に盧溝橋事件をキッカケに日中戦争が始まってから、様々な制約を行なって日本を追い詰めたアメリカ。
 
資源のない日本に対して、鉄や石油の輸出を止めることで進軍が収まると思っていましたが、まさか逆に戦争をしかけてくるとは考えてもいません。
 
もし普通に通達が届いていたとしたら、また違った歴史になっていたのかもしれません。

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