毎年、やらせやワープ疑惑などの話題が持ちきりとなる、24時間テレビのチャリティーマラソン。
あまりにも批判が目立つので、過去の放送でどれだけ問題が出てきたのか気になる……って人も多いのではないでしょうか?
そこで今回は、
・放送内でゴールできたのって、どんな人?
・本当にヤラセはあったのかな……?
という人に向け、『これを見れば歴代ランナーの全てが分かる!』という内容でご紹介します!
24時間テレビの歴代ランナーとマラソン距離・結果
第15回(1992年) 間寛平
24時間テレビでマラソンが開始されたのは、第15回の1992年から。
最初のランナーとして選ばれたのが、当時43歳だった間寛平さんでした。
マラソンはもともと、番組で企画されていたものではなくて、彼のマネージャーが提案したものだったんだとか。
歴代の中では唯一、事前に走行ルート(出発地や武道館までの経路200kmほど)が公開されていました。
が、それがアダとなり、道路には見物客が殺到。
交通の妨げになったことから、あえなく153km地点で「途中棄権」となったんです。
(これ以降、出発地やマラソンの経路は非公開となりました)
体力があるのに走れなくなったのは、これが最初で最後かもしれません。
第16回(1992年) 間寛平
番組内で走った記録としては最も長く、今でも抜かされていません。
昨年、完走ができなかったこともあり、寛平さんも"かなり練習していた"ことが語り継がれていますね。
1990年にはギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」で246kmを完走した経験もありましたから、これくらいは余裕なのかも?
第17回(1994年) ダチョウ倶楽部 肥後・寺門・上島
初めてランナーが交代し、距離も短くして開催されたのが3回目のマラソン。
走ることは学生以降やってない!と公言していた、ダチョウ倶楽部の3人が挑戦しました。
肥後さんと寺門さんは31歳、上島さんは33歳でのチャレンジでしたが、時間内で完走することはできませんでした。
しかも、2011年にフジテレビで放送された「27時間テレビ」において、ビートたけしさんが
と暴露。
当時は追跡版もいなかったので、ホントのところは不明となっています。
第18回(1995年) 間寛平
阪神淡路大震災があった1995年。
この年も、間寛平さんがランナーを務めることとなりました。
「被害があった地域から走りたい」という本人の希望から、神戸~東京までの総距離600kmを、7日間に分けて走るマラソンとなったんです。
一日120kmペースで走り、最後は余裕を持ったゴールとなりました。
第19回(1996年) 赤井英和
番組初の「タスキリレー」が開催された年に走ったのは、元ボクサーという経歴も持つタレントの赤井英和さん。
事前に募集した一般参加者(600人)ほどで"南北組"に分かれ、計3600kmほどを2つのチームで「日本縦断」する……という、初の試みだったんですよね。
赤井さんは2チームが合流した残り100km地点でアンカーとなり、完走する予定でした。
しかし、一般参加者の到着が遅れたことで、赤井さんの出発時間が大幅に遅延。
100km程度なら余裕で完走できる体力を持っていましたが、放送内には間に合わかなったんです。
これを受け、番組は"これまた初"となる放送時間の延長を行い、なんとかゴールをすることができました。
第20回(1997年) 山口達也(TOKIO)
もうジャニーズとして見ることはないのか……となってしまう、山口さん。
「鉄腕!DASH!!」が木曜日の深夜で放送スタートされ、話題を集めていた時期にランナーとして選ばれていました。
体力も余りあるタレントということもあり、余裕の完走になるかと思いきや、走行中に右足を損傷。
歩くだけでもつらそうな状態でしたが、なんとかゴールすることができたんです。
最後の方なんか、"意地"で前に進んでいたように感じる(´・ω・`)
第21回(1998年) 森田剛(V6)
続く翌年、同じくジャニーズからV6の森田さんがマラソンをすることに。
当時は「初めて10代がランナーに選ばれた」として、かなり話題になっていました。
時間が迫るごとに両足に激痛が走ったり、脇腹を抑えてその場に抱え込んだり、とにかく辛そうだったのがなぁ……
「一度座ってしまうと立ち上がれなくなる」ほどの体力を消耗している様子、胸を締め付けましたね。
V6はもちろん、TOKIOのメンバーたちも全員が駆けつけて応援していたのは、かなり励みになっていたように感じます。
それでも、しっかり時間内にゴールすることができました。
第22回(1999年) にしきのあきら
近年の若手路線をガラッと変え、歌手の錦野旦さんを起用したのが1999年のマラソンです。
当時は「史上最高年齢ランナー」として、かつこれまでより10kmほど延長での挑戦となりましたが、見事に番組内で完走を果たすことができました。
後の24時間テレビの出演においても、還暦を過ぎて「津軽海峡をリレーで泳ぎ渡る」チャレンジをしたりと、運動に意欲的な方ですね。
下手したら自分より、体力のある人なのかもしれない……
第23回(2000年) トミーズ雅
千の位の西暦が動いたことでわっしょい騒ぎとなっていた、2000年。
この年は、お笑いコンビ「トミーズ」の"トミーズ雅"こと北村雅英さんがランナーを務めていました。
テレビではあまり見かけない人かもしれませんが、実は「関西のお笑い界の重鎮」として君臨しているすごい人物。
もともとプロボクサーだったこともあり、
という「"最速"走行記録」を叩き出しました。
番組では目玉企画なのに……
プロデューサー的には、見せ場を作ってほしかったんじゃないかなぁって思います(´・ω・`)
第24回(2001年) 研ナオコ
当時"初"となる女性ランナーの先駆けとなったのは、タレントの研ナオコさん。
この試みの数年前には「胆のうの全摘出手術」があったことから、世間では「本当に完走なんてできるの……?」と疑問に思う声も多く上がっていました。
が、休憩所をいくつか飛ばした"一睡もしない走り"によって、番組内で完走。
翌年に出版したエッセイ「家族リレー ~ナオコんちの場合~」では、
ことを明かしています。
スポンサーリンク第25回(2002年) 西村知美
翌年も女性ランナーとなり、抜擢されたのはアイドルの西村知美さん。
ホノルルマラソンにも挑戦したこともあり、番組では夫とともに「涙の完走」をしていた姿が映し出されていましたが、放送後に「ワープ疑惑」が問題視されるようになりました。
ネット上では『西村知美ワープ事件』とも言われている案件の発端は、こんな感じ。
番組の表示では「残り30km」を示していた距離が、1時間後に「残り10km」になっていた。
計算してみると、20km/hほどでないと走れないスピードであったことが発覚。
オリンピック選手でもあるまいし、車を使って移動していたのでは……?
後半の「一番疲れている時」に差し掛かっているにもかかわらず、このようなスピードを出せるのは超人ですよね(´・ω・`)
これが当時としては初めての『やらせ疑惑』となり、大騒ぎとなってしまいました。
結局、本人や番組からの説明はないまま終わっています。
第26回(2003年) 山田花子
3人目も女性ランナーとなり、担当したのは山田花子さん。
「ゴールしたら松岡くんに抱きしめてもらうのが夢です!」と公言してスタートを切りましたが、ゴールまで残り4kmのところで番組が終了してしまいました。
それでも、放送終了の1時間後にゴール。
ゴールテープの前で待っていた松岡さんに抱きしめられ、夢がかなった瞬間となりました。
ちなみに、Twitterなどでランナーを監視している「24時間マラソン追跡団」が結成されたのも、この年から。
昨年のワープ疑惑を受け、2ちゃんねるで「来年から追跡監視しよう!」との書き込みがきっかけとなり、有志で集まったのです。
第27回(2004年) 杉田かおる
女性ランナーが続き、2004年に抜擢されたのは、女優の杉田かおるさんでした。
この年、放送そのものの開始が15分遅れたときだったんですよね。
普段だったら開始直後(当時だと19時40分くらい)にマラソンスタートすべきなんですけど、20時5分の出発となってしまいました。
それでも、見事100kmを完走。
現在は一般男性と再婚して、女優・タレントを"事実上の休業"しています。
第28回(2005年) 丸山和也
2000年代初の男性ランナーとなった、弁護士の丸山和也さん。
当時は『行列のできる法律相談所』にも出演していたことで、マラソン挑戦への声がかかったのだといいます。
"行列"では24時間テレビで完走したランナーに取材するのが定例となっていますが、当時レギュラーだったメンバーが出てきたのは新鮮だったように思いますね。
現在はタレント業としての活動は減り、参議院において法務や行政監視の委員会などの役職に就いています。
第29回(2006年) アンガールズ 田中・山根
2006年にランナーを務めたのは、アンガールズの田中さんと山根さん。
複数での参加は、1994年のダチョウ倶楽部以来ですね。
この年は、とにかく不祥事が続きました。。。
今でも語り継がれる事件といえば、路肩で応援していたおばあさんにスタッフが怒鳴り散らす「恫喝事件」や……
路肩にスタンバっていたおばあさんは、彼らの体にハイタッチして応援した。
すると、後から来たスタッフがおばあさんへ向かい、睨みつけるように「触らないで!!」と叫んで注意。
その様子がネットで拡散され、各種メディアも反応。
一時はマラソンが中止になるのでは?とウワサされるほど、騒然となった。
マラソン中継中、マイクの切り忘れによって、インパルス・板倉さんたちの本音がテレビで放映された「暴言事件」があります。
板倉?「山根はまったく…」
堤下?「ハハハ」
板倉?「山根やばいって」
堤下?「ハハハハ!やばいよね」
男と女の笑い声「あはは」
竹山?「あれ、やばいよ、ほんっとにやばいよ!」
堤下?「霊だよ、霊!」
竹山?「あの人マ、マジ、ほんとに走るの」
堤下?「マジでひでぇな。ひでーよ、あいつは」
板倉?「姿慎めよあいつは。きもちわりい(?)」
この2人に関しては、何も悪いことはしてないんですけど……
それでも、しっかり番組内で完走し、史上初めて『サライ』を熱唱することとなりました。
第30回(2007年) 萩本欽一
30回めとなった放送の節目、当時最年長での挑戦となった萩本欽一さんがランナーを務めました。
年齢も考慮したトレーニングを考えていたことから、異例となる「前年度中」に走者が発表されていましたね。
残り900mほどを残して番組内での完走は達成できませんでしたが、放送終了後にしっかりとゴールテープを切ることができました。
ちなみに、チャリティーマラソンのゴール直前には「"歴代"瞬間最高視聴率」である43.9%を叩き出しています。
この記録は、今でも更新されていません。
第31回(2008年) エド・はるみ
芸人としてブレイクしていた頃、マラソンランナーとして声がかかったのがエド・はるみさん。
いつかランナーに選ばれることを夢見て、自主トレを6年間ほど行っていたというツワモノです。
そのような頑張りもあってか、女性としては"当時"歴代最長の113kmを見事に完走しました。
ゲリラ豪雨にも負けず、よく走れたと感じます。
ちなみに、発表~本番までは"年齢非公表"(マラソンに参加した研ナオコよりは年下ということは明かす)で参加していたんですよね。
今では公表しているため、上記のランナーの欄には入れていますが……
けっこう見た目、若かったんだなぁって思った(´・ω・`)
第32回(2009年) イモトアヤコ
女性走者としては最年少・距離は歴代最長という、類を見ない条件で参加したイモトアヤコさん。
なぜ彼女だけ126.585kmという端数まで表示されているのかというと、この年の番組が「フルマラソン」を意識してコースを設計していたから。
42.195kmを3倍すると、ちょうどこの値になりますよね。
ただこの年あたりから、放送枠内でギリギリゴール出来ないように設計されるようになったこともあり、
「後番組とか特番とかの視聴率ばかり考えられていて、ゴールに映らないイモトがかわいそう」
という声もチラホラ出てくるようになりました。
(実際、後の「NEWS ZERO」の視聴率のほうが良かったらしい)
まあ、ネットがサバサバしたのは『時代背景』もあるんでしょうけどね。
景気が下がり始めて、就職氷河期が始まったころですし。
第33回(2010年) はるな愛
初のニューハーフ走者としても注目を集めた、はるな愛さん。
マラソン開始時からずっと番組のトレーナーとして活動してきた坂本雄次さんが、手術のため「初めてほとんど並走をしなかった」年でもあります。
それに加えて、今度は「距離ごまかし疑惑」と呼ばれる"デマ"が拡散されました。
これが各種まとめブログやリツイートで拡散され、公式より少ない距離しか走ってないことに目をつけられるようになった。
もちろん、後の調査によってしっかり85km走っていたことは、明らかとなっています。
選ばれてもないのにずっと練習してきた上、ほぼメイクが剥がれるほど頑張っていたんですから、こういった情報が流れるのは悲しくなっちゃいますね……
第34回(2011年) 徳光和夫
24時間テレビの総合司会を務めてきた徳光和夫さんが、歴代最年長の70歳で挑んだチャリティーマラソン。
これまでずっと、公式から距離の情報は明かされ続けていましたが、この年だけは非公表のままマラソンがスタート。
終了後に「63.2km」であったことが明かされました。
(これも昨年と同じく「44kmほどしか走ってない」という"デマ"が流されましたが、追跡班によって否定)
なぜ距離が公表されなかったのかについては「応援の人たちであふれてパニックになることを予防するため」らしいんですけど、逆に疑いがかけられる結果となってしまいました。
あと、長年“行列”で司会を務めていた島田紳助さんが、生放送の直後に「暴力団との交際疑惑」が持ち上がったことで翌日に芸能界を引退。
普段なら完走した人をねぎらうコーナーや特番が入るんですけど、世間の目は一気にマラソンから遠のいてしまったんですよね。
東日本大震災でチャリティー募金の総額も「歴代最高」を記録したのに、いかんともしがたい結末となりました。
第35回(2012年) 佐々木健介&北斗晶ファミリー
家族総出でマラソンに参戦した、佐々木健介・北斗晶一家。
純粋なリレー形式としては1996年の赤井英和さん以来、次男の誠之介くんは番組史上最年少という、新たな試みも取り入れられた年でもあります。
4人で合計120kmの道のりを、
の順で完走しました。
"序盤"と"終盤"ばかり注目され、"中盤"で観る人が減ってしまうチャリティーマラソンですが、この年は子供たちが走ることもあり、いつもより視聴率は良かったんだとか。
第36回(2013年) 森三中 大島美幸
ランナーとしてオファーがあった時の体重=走行距離にするという、これまた斬新な決め方から始まった大島さん。
これまでのヤラセ疑惑とは違い、公式で発表されていた距離"以上"のルートを完走していたことが、当時の追跡班によって証明されたことでも話題となっていました。
(諸説ありますが、93~94kmほどが有力)
このマラソンで減量に成功し、-16.3kgの71.7kgまで絞ることができたのだといいます。
しかし、その後の役作りや妊娠→出産によって、じょじょに体重は増加。
2018年3月時点で、現在の体重は90kgオーバーと、自己最高記録を更新したことが明かされました。
見事にリバウンドしてますね……
第37回(2014年) 城島茂(TOKIO)
1998年の森田さん以来、久しぶりのジャニーズランナー枠となった城島茂さん。
TOKIOとしても山口さんに続く2人目ということで、かなり念入りに指導している姿が放送されていたのが印象的でした。
ジャニーズ最年長&コース最長であったことから完走が危ぶまれたこともありましたが、無事にゴールテープを切れました。
完走後のインタビューや番組出演でも変わらないテンションを保ち続けている辺り、体育会系の看板番組を持っているな~と感じますね。
第38回(2015年) DAIGO
チャリティーマラソン自体の"存在意義"に批判が集まりつつあった中、2015年に任されたのはミュージシャンのDAIGOさん。
ホントかどうか分かりませんけど、この年はそういった批判が出てこなかったんだそう。
「本人のキャラとか立ち位置とかで"叩きにくい"存在の人って、いるんだな~」と思った年でした。
道中、両ひざを痛めて歩が進まなくなるアクシデントにも見舞われましたが、なんとか放送時間内にゴール。
よく間に合わせたなぁ……
第39回(2016年) 林家たい平
2016年のランナーに選ばれたのは、落語家の林家たい平さん。
走行距離は、歌丸師匠の本名・椎名巌(しいないわお)にちなんで「110.5km(イワオ・ゴー)」で決定しました。
寄席や「笑点」の収録で全国を飛び回りつつも、合間を縫ってマラソンの練習に励んでいたのは本当にすごいと思いますね。
とても50代には見えない若さといい、性格の明るさといい、見習いたい部分が多い人物だと感じました。
第40回(2017年) ブルゾンちえみ
2017年のランナーに選ばれたのは、当時ブレイクしていたブルゾンちえみさん。
番組初の「平成生まれランナー」でもあります。
過去に出場していたイモトさんやはるな愛さんとは違い、メイクが全く落ちなかったことでも注目されていましたね(´・ω・`)
例年であれば事前に公表されるランナーが「当日発表」という、前代未聞の決まり方となったことで「ヤラセ疑惑」が持ち上がりましたが……
「走る理由が~」とか言われていますけど、実際のところは
説が濃厚のようです。
(放送が近づくにつれ、突然みるみる痩せていったのも、これが理由とされています)
テレビの収益もこれまでより少なくなり、ギャラに困っていたと考えるのが妥当なのかもしれません。
2018年は「みやぞん」の「トライアスロン」!
24時間テレビの歴代ランナーについてまとめていきました。
こうしてみると、ヤラセの真相って
「疑惑」・・・1つ(西村知美)
だけなんですよね。
リタイアした人物は、長い放送の歴史を見てもいないんですよ。
特に、インターネットが発達してからは批判も目立つようになったからか、見えないところでの不正は無くなっている印象でもあります。
今年もマラソンするんだろうな~と思って情報を待っていたんですけど、競技自体ガラッと変更されるんですってね(´・ω・`)
距離とかえげつなくなりそう……